もう少し。

以前、アルバムにも入っている『Dear,summer Friend』についての仕掛けについては超興奮気味に書いたのですが*1、単に「しりとり」をしているだけではない、ということを桜井さんのリニューアルしたブログで知りました。

教育TV「ピタゴラスイッチ」にて佐藤雅彦さんより持ちかけられた仕掛け。それが“つながりうた”でありました。
“つながりうた”
すなわちなんぞやと。解説しましょう。
歌の節と節の間。楽譜上なら休符が打たれ、息を吸うポイントとなる箇所の前後二文字の音をそろえる。このルールを貫いた歌のことをして、“つながりうた”と呼ぼう、と。具体的に言いましょう。実際に番組で放送されている曲です。
   〜つながりうた・もりのおく〜
 森のおく くまのおやこ ことりのうた
 たにまをわたり りすの巣穴 なかよし兄弟……

こんな調子でうたは続きます。で、それがなんなのかと。
休符の間、直前に発音した言葉を唇は覚えています。この「唇が」っつーのが大事なとこ。例えばそのセンテンスが「う」で終わり、休符に突入したとしましょう。唇はその間も多少とんがらかしたまんまではありませんか?そして、次のセンテンスが同じ「う」で始まると、とんがらかしたところから新しい運動が始まる。つまり、唇が色濃く記憶しているものを再び解き放ってあげる。これ、なんか、えらく気持ち良いのです。うれしくさえあるのです。休符の間に唇の態勢を次の発音のために準備しなおす必要がない。それどころか前のセンテンスの最後の文字が次につながる準備を兼ねているという連続性。その美しさに佐藤さんは気がつかれた。
そして、それが一曲というパッケージのなかで反復して起こったら、気持ちよさはいったいどーなってしまうのかと佐藤さんは提案された。いまさらですが、あのひと、天才です。
僕が感動したのは、歌詞とは歌って初めて機能するものなのだと改めて気づかせてくれたことでした。すなわち、歌ったとき聴いたとき、唇や耳は喜んでいるのか。魂に訴える言葉はもちろん大切です。だけど、歌詞という言葉が音楽とともにあらねばいけない理由は、フィジカルなところにあるのだと。
韻を踏む、という技術もそういった試みの一つで今やとてもポピュラーな手法となっていますが、“つながりうた”はその「即時性」及び「連続性」という特性から、効果の強さは踏韻の比ではありません。
     ―続・あんた最高だ!(4/4 俺の耳はロバの耳)

な、なるほど。ふ、深い。深すぎる。そう、つながっているのは単に文字だけではないのです。これで桜井さんが佐藤雅彦先生の話を聞いてすげいと思ったことも納得。佐藤先生スゴスギ。
で、桜井さん自身がブログで『I'm in Love』にもちょいとした仕掛けがあると書いていたんですが…うぬ、ヒントは「唇が」ということ。今日のミュージックスクエアにて桜井さん本人が言ってます。興味のある方は以下をどうぞ。

*1:トーキョウニッキにて。http://d.hatena.ne.jp/wabi-nago/20050727#p1